SANKEI Webに『【イタリア便り】犬、猫の毛皮』というタイトルの記事が掲載されていました(3月4日)。
EU諸国でもいまだに10ヶ国が犬・猫の皮の使用を禁じておらず近く全面禁止にする動きになってきたことや、犬皮・猫皮の輸出国は中国をはじめとするアジア諸国であるといったことについて触れられており、もちろん「これはよろしくないことである」という論調です。
よろしくないことは言うまでもないのですが、気になるのは
考えてみれば太古から人間に最も忠実な動物である犬や猫を殺し、その肉を食べたり皮を剥いで使ったりするとは残虐非道極まりない行為である。犬や猫にしてみれば「今ごろ気がつくとは人間ほど無神経で馬鹿な動物はいない」と言いたいところだろう。
というくだり。
人間に最も忠実な動物たちを殺すから残酷なのでしょうか?
心情的に犬を殺すのはかわいそう、と言うのは分からないでもないですが、この記事について言えば新聞記者の考察としてはあまりにも底が浅すぎるような気がしてなりません。
表現の稚拙さは置いておくとしても、じゃぁどの動物なら殺して毛皮をとっていいんだよ?と突っ込みのひとつも入れたくなってしまいます。
たとえば酷寒の地に住む人たちが昔から生活の知恵として動物の毛皮を身にまとうのと、現代人が見栄や単なる自己満足のために高級と言われる毛皮をまとうのは全く別なわけで、当然後者にその必然性は一切見出せません。
と偉そうなことを言ってみても、「生きるため」以上の欲望で牛さんや豚さんに舌鼓をうつのも、動物たちから見れば毛皮をまとって陶酔しているのと何らかわりないのかもしれません。
結局、人間の罪深さをどこまで許容するかということなのでしょうか(これとて非常に傲慢な物言いではありますが)。
でもやっぱり高価な毛皮のコートをお召しになっている“せれぶ”の方々とは価値観を共有できそうにありません。